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441.世界的指揮者・小澤征爾さん、死去ー2024.2.6

441.世界的指揮者・小澤征爾さん、死去ー2024.2.6

日本の報道

『読売新聞』2月10日付け14版1面
・見出しー小沢征爾さん死去、88歳、世界的指揮者
・リードー世界的指揮者で、ボストン交響楽団ウィーン国立歌劇場の音楽監督を日本人で初めて務めた小沢征爾(おざわ・せいじ)さんが6日心不全で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で行った。
旧満州(現中国東北部)生まれ、10代から指揮を斉藤秀雄に学び、1959年フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。
20世紀を代表する指揮者シャルル・ミュンシュやヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインに師事。楽譜の深い読み込みに支えられた綿密な解釈と全身を使った力強い指揮で評価を確立した。


『朝日新聞』2月10日付け朝刊14版1面
・見出しー小澤征爾さん死去、88歳 世界的指揮者
・リードー世界の楽壇の第一線に立ち続け、戦後日本のクラシック音楽界を牽引した指揮者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが6日、心不全で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を検討しているという。
1936年、中国・瀋陽(旧奉天)生まれ、ピアノに才能を示したが、ラグビーで指を痛めたため指揮に転向。作曲家の山本直純,名チェリストでもあった斉藤秀雄のもとで指揮の勉強を始める。桐朋学園短大を経て渡欧し、59年に仏ブザンソン国際指揮者コンクールで日本人初の優勝を果たした。
カラヤンに弟子入りし、61年にはバースタインにも才能を認められ、ニューヨーク・フィルの副指揮者に。ィーィーン・フィルや」ベルリン・フィルなど世界の名門楽団と共演を重ねた。武満徹が和楽器とオーケストラの融合に挑んだ「ノヴェンバー・ステップス」の67年のニューヨーク初演は世界的な話題となった。
カナダのトロント交響楽団を経て70年、米タングルウッド音楽祭の芸術監督とサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に。73年から29年間ボストン交響楽団の音楽監督を務めた。2002~10年には、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。02年には日本人指揮者で初めてウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに登場した。
日本のオーケストラ育成にも勢力を傾け、70年代に日本フィルハーモニー交響楽団が労働争議で分裂の危機に陥った時は、楽員の自主運営を旨とする新日本フィルハーモニー交響楽団の創設に尽力した。87年桐朋学園大の卒業性を軸にしたサイトウ・キネン・オーケストラを結成。欧米でのツアーを重ね、日本の演奏家の水準の高さを世界にアピールした。長野県松本市で92年始まった「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)では総監督を務めた。
09年末に食道がんが見つかって以降、病による降板と復帰を繰り返した。
72年日本芸術院賞、85年朝日賞、08年文化勲章。受賞。


『日本経済新聞』2月10日付け朝刊13版1面
・見出しー小澤征爾さん死去、指揮者、世界の名門で活躍、88歳
・リードーボストン交響楽団やウィーン歌劇場の音楽監督などを務め、「世界のオザワ」と呼ばれた指揮者の小澤征爾さんが2月6日、心不全のため東京都内の自宅で死去した。88歳だった。お別れの会を行うが日取りなど未定。
旧満州(現在の中国東北部)生まれ、ラグビーのけがでピアニストを断念。東京の桐朋学園に第2次世界大戦後設けられた音楽教育部門で斎藤秀雄に指揮の基礎を学んだ。
桐朋短大を卒業後に渡欧し、1995年、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、その後、名指揮者のカラヤン氏に師事、さらに指揮者・作曲家のバーンスタイン氏に招かれ、ニューヨークフィルハーモニックの副指揮者についた。
73年ボストンで交響楽団で音楽監督に就任。オペラの名門、ウィーン国立歌劇場でも2002年から10年まで音楽監督を務めた
1984年、斎藤氏に教えを受けた同門の演奏家とともにオーケストラを結成。この「サキトウ・キネン・オーケストラ」を中心に92年からは長野県松本市で「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」を開始,自身はオーケストラやオペラを指揮した。
仏レジオン・ドヌール勲章、文化勲章など国内外で受賞多数。
10年に食道がんを手術し一時、音楽活動を休止。その後も、体調の許す限り、指揮を続けていた。

『NHK』2月10日 電子版
・見出しー小澤征爾さん死去88歳 「世界のオザワ」の訃報に国内外で追悼
・リードー海外の名だたるオーケストラで活躍し、「世界のオザワ』と評された指揮者の小澤征爾さんが今月6日、都内の自宅で心不全のため亡くなりました。88歳でした。
訃報は国内外で報じられ、親交のあった人などが、哀悼の意を表しています。5歳の時日本に帰国、小学生で初めてピアノに触れ、レッスンを始めます。数多くの指揮者を育てた斎藤秀雄さんから本格的に指揮を学びました。23歳で単身フランスにわたると、現場で行われた指揮者のコンクールで優勝し、飛躍の足掛かりをつかみ、世界的な指揮者、カラヤンに師事しました。
またアメリカの指揮者バーンスタインにも認められ、25歳でニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任、その後もウィーン管弦楽団など世界的に有名な数々のオーケストラで指揮者として長年活躍しました。このうち、アメリカのボストン交響楽団では、1973年から29年間にわたって音楽館監督をつとめるなどその活躍で「世界のオザワ」と評されました。
国内でも新日本フィルハーモニーの創立にかかわったほか、恩師の斎藤秀雄さんをしのんでサイトウ・キネン・オーケストラを結成して音楽祭を開くなど精力的に活動し、戦後日本のクラシック界を牽引してきました。2008年には文化勲章を受賞しています。
小澤さんは、2010年に食道がんの手術を受けて以降、活動の再開と休止を繰り返していましたが、去年9月には長野県松本市で開かれたコンサートサートに姿を見せていました。

『NHK WORLD』NHK 2月10日 電子版
・見出しーClassical music world mourns maestro Ozawa
・リードーOrchestras and musicians across the world with ties to renowned Japanese conductor Ozawa Seiji are mourning the passing of the maestro.
Members of the Boston Symphony Orchestra, where Ozawa served as music director for nearly 30 years , observed a minute of silence before their performance on Friday afternoon.


外国の報道

アメリカの『AP=The Associated Press』 通信 2月7日 電子版
・見出しーAcclaimed Japanese conductor Seiji Ozawa who led the Boston Symphony Orchestra, dies
at age 88.
・リードーTOKYO`(AP) Seiji Ozawa ,the Japanese conductor who amazed audiences with the lithe physicality of his performances during three decades at the helm of the Boston Symphony, has died, his management office said Friday.. He was 88.

イギリスの『REUTERS』通信 2月9日 電子版
・見出しーWorld renown maestro Seiji Ozawa has died
・リードーTOKYO(REUTERS)Japan's Seiji Ozawa, one of the best-known orchestra conductors of his generation died on Tuesday of heart failure at the age of 88, public broadcaster NHK announced on Friday.

以上

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